12月はやっぱり第9。
タイトル通りです。
寒いと第9が聴きたくなりますね。
こどもが嫌がるので(泣)、もっぱら通勤中やお昼寝中に聴いています。(でも妊娠中に聴いていたんだけどな! 冬生まれの子どもなので、第9とラフマ聴いてました。)
誰の演奏ってこだわりはないんですが、今持っているのはカラヤンで、それを繰り返し聞いています。今も聴きながらブログ書いてます。
第9って・・・歌までが長いですよね。
でもオーケストラの曲がだんだん盛り上がっていって、爆発するように歌が始まる、あの瞬間がたまりません!
コンサートは2回ほどしか行ったことがないんですが、冬の寒い空気と、おしゃれした人たちの華やかな雰囲気と、ホールの外のイルミネーションの輝きと、どれをとってもすごく大好きでした。また行きたい!
クラシックやっぱりいいですね。しつこいけど12月はやっぱり第9。
父は死んだ、ということにする。
最近努めて?ぼーっとする、いろいろ詰め込まないようにしています。
そうすると、いろいろな気づき?というか、メッセージみたいなものがふと浮かんできます。
今日アイロンがけしていたとき浮かんだ言葉、
「父は死んだ」
いや、実際元気ピンピンで生きている実父なんですが、理由あって数年前までほぼ絶縁状態でした。
でも私に子どもが生まれて、また少しずつ会ったりするようになりました。
そのときの義理父母たちへの失礼な態度が許せなくて、やっぱりどこか距離を置いてました。
自分のひねくれた性格もこの父ゆずりのものだと思うと腹立たしい。
だけど、自分ももういいかげん年だし、父のせいにするのもなあと。
そんなとき降ってきたこの言葉。
あなたが知っているお父さんは、もう死んだんですよ。
いろんなことをたくさん知っていて、いろんなところへ連れて行ってくれたお父さんも。
宗教にのめりこんで家庭をかえりみなかったお父さんも。
気が短くて私たち家族を怒鳴り散らしていたお父さんも。
お父さんはもう、死んでしまったんだよ。
今のお父さんはもう、私の知っているお父さんではなくて、新しいお父さんなのだ。
苦しいことはぜんぶ、終わってしまったのだ。
自分も昔の自分ではなくて、新しい自分なのだ。
許すとか、難しいんです。
もう終わったんだ、ということにする。
それでいいじゃないですか。
ぼーっとするのも、いいもんだ。
自分はすごい、ということにする。
さとうみつろうさんの『神様とのおしゃべり』(ワニブックス)を読みました。
大好きな心屋仁之助さんと共通する部分も多かったです。
それで今さら思ったのが、自分の思考が現実を作るのだということ。思考がすべてということ。
なので、もう何度も心屋さんの著書で目に触れていたのですが、今回は本気で自分はすごい、ということにしようと決めました。
で、一日すごいすごいと言い聞かせてたんですが、・・・一日が終わって特にすごいこともなく・・・
はあ~、そんな簡単なもんじゃないかと思って久々にこのブログを開き、アクセス解析を見てみたところ・・・
なぜか今までで自分史上いちばんのアクセス数が!!!
驚愕しました。
よく分からないけどすごいと思いました。また何かあったら報告します。
勘違い最高!!!
大丈夫。あれはあれでよかったのだ。
先日、通勤途中の車を運転しながら、なぜだか「大丈夫」という言葉が浮かんできた。なぜだかは分からない。でも「大丈夫」とおもったのだった。
確かに生きているからいろいろある。今でも職場の同僚でどうしても苦手な人がいるし、とても無理な要望で自分には手におえないのになんとかしなきゃいけない問題があるし、我が子の暴君ぶりにうんざりするし、旦那は休日なのに仕事に行っちゃったし、優しい義母が病気になっちゃって一族一同沈みがちだし、まあいろいろ。
でも、なんか「大丈夫」とおもったのだった。
その数日後、自分が以前休職していたことを、「あれはあれでよかったのかな」とふとおもった。
ああ、自分は自分の人生で、自分を守ったんだなと。
休職して本当にたくさんの人に迷惑をかけた。
仕事もやめればと言われたし、口に出さなくてもそう思ってる人はたくさんいたと思う。
本当にやめようかと何度も思って、実際に一度やめたし。
でも今は続けて良かったと思っている。
今の世の中は、たくさんの仕事が上手に早くできたり、友達がたくさんいたり、お金をたくさん持っていたり、そういう人が価値があると思われている。
私もそういう人に憧れてはいる。でも、自分はそういう人にはなれないと思う。
くすっと笑えるようなことや、一見小汚い感じだけど実はきれいなものとかを見つけたり、静けさの中で聞こえてくる音とか風のにおいとかそういうものを楽しみたい。
少ない人や物事でも、心を込めて付き合いたい。大勢の人には無愛想でつまらない人間と思われても、自分で決めた人や物事には真剣に関わる。
世間的には残念な結果になっても、自分の心が納得すれば、大丈夫なんじゃないだろうか。
というか、自分がこれをやりたいと思う心が、そんなの無理だよと思う心をこえていければいいだけの話なのかも。
まあ、私も小心者なので、やっぱりいろいろびくびくしちゃうんですが、ここの数日の気づきは、なんか良かったなと思います。
(27分)
ブログをやってて考えたこと。
1.ブログの自分=リアルの自分
あまりにもブログの反応がなかったり、忙しくて「今日はブログ書くのやめよう」ということが積み重なると、…もうブログやめてしまおうかな、などと思ってしまいます。
でも、そんなときはてなスターをもらえたりして、「誰かが読んでくれてるんだ!!!」と気付くと、がぜんやる気が出ます。(今まではてなスターを下さった方々、本当に本当にありがとうございました)。
自分は身バレや見知らぬ人からの中傷?が怖くて、ブロガーになりたいのに、ブログを読んでほしいような読んでほしくないような感じで、特にブログのPVをアップさせるための工夫などもしていません。画像なんかもつけていないし…
これって自分のリアルと一緒ですね。人とコミュニケーションをとりたいし、人気者になりたいのに、わざと距離をとってしまうというリアルの私。
おしゃれしよう(=画像つけようよ)。本音で話そう。
2どこかで誰かの支えになりたい
私がこうなっているといいな、と思うのは、私のブログが誰かの支えになってくれればいいな、と思うことです。私がそうであったように。
以前休職していた時、早く病気を治したくて、本を読んだりインターネットで病気のことをよく調べていました。
ヤフー知恵袋とかをよく読んでいたんですが、その答えでプリントアウトして今でも持っているものがあります。(調べてみたらもう削除されていました。)それは hello_need_333333さんの「あなたが自殺しない理由はなんですか?」という質問の回答です。引用します。(helloさん無断でごめんなさい。)
「僕は昔一生懸命努力したのに目標が達成できなくて(前略)もう生きていくのがつらいな。と思い、自殺を考えました。
でも、自殺しようと準備し始めていざしようとしたとき、言い訳ばかりしてきた逃げてばかりの人生だったなと思いました。その時、どこかから声が聞こえたのか、それともふと思い浮かんだコトバなのかはいまだわかりませんが、『にげたままでいいのか?』というのが頭によぎったんです。そして、そのときガラスで手を切ったはずなんですが、手が切れていなかったんです。
そして、僕はまだ立ち向かってもないじゃないか。努力してもないじゃないか。まだ、僕は、みんなが僕のことを否定すると決めつけるほど、僕は、人に会ってないじゃないか。(中略)一気にこんなことが頭によぎりました。
そのあとで、死んでもいいかなと思うほど、後悔しないほど、人生を生きていない。となんかいったんです。
(中略)そして達成できなかった目標をどうにかほかの方法で達成できないか一生懸命探しました。そしたら、見つかったんです。それを達成するために、もう一生懸命に努力しました。(中略)もし3度の挑戦で失敗しても、また何か違う目標を一生懸命探して目標を達成しようと努力すると思います。これを繰り返すと思います。後悔がない人生だと言えるまで。
長くなりましたが、ぼくが死なない理由は、まだ後悔しないほど人生を生きてないからです。『後悔してないよ。人生を。』といえるほど生きてないからです。」
これは2008年9月17日に回答されてます。
helloさん、ほとんど引用してごめんなさい。
書き写してて、涙が出てきました。
この文章は削除されているし、helloさんが、どこのどんな人かもわかりません。
でも、どん底の自分をずっと支えてくれた文章になりました。ありがとうございました。
私は誰かひとりの心に届く文章を書きたいと思います。
どこかで誰かの支えになれたらいいな、と思います。
そのために行動すること、本当のことを書くこと、書き続けること、を大切にしたいです。
よしもとばなな『ゆめみるハワイ』。
よしもとさんの本は学生のころから好きで、よく読んでいる。人生を支えてくれた本を書いてくれた人のひとりだ。『うたかた/サンクチュアリ』『デッドエンドの思い出』『Q人生って?』などなど。特に彼氏にふられたときは本当にお世話になりました…。
よしもとさんの本からはよく啓示?みたいなものをもらうことが多い。今悩んでいることの答えとか、こうじゃないかなと考えていたことがそのまま示されてあったりする。まるで神のよう。そして今回も。昨日「自分に厳しくしたい」とブログに書いたのだけど、まさにそのことを書かれていました。
「自分が自分にとってぴったりくる役割の中にすんなりいること。その中でたったひとり、遅い歩みでも進んでいること。自分が自分でいるだけ、それ以上の幸せがあるだろうか。(中略)だれかを自分と比べてうらやましいと思ったり、だれかがちゃんとわかってくれさえすれば、自分はこんな状況にはいないのに、と思うことの何倍も、そこには小さなあたたかさがある。つきない動力がある。」(p.85)
よしもとさんのエッセイをよく読むけれど、いつも大勢の人に囲まれて行きたいところへ行けていいなあとうらやましくなる。でも簡単にうらやんではいけないのだと思う。村上春樹さんと同じで、よしもとさんも地味で気の遠くなるような日々を積み重ねてこられたのだから。誰にも分かってもらえない絶望を積み重ねてこられたのだから。
啓示?だけでなく、この本はハワイへの愛がたっぷり詰め込まれていて、ハワイに今すぐにでも行きたくなりました。旦那がハワイに行きたいとしつこく言い続けていて、子どもが小さくて飛行時間に耐えられないからと断固突っぱねてきたのだけど、来年の夏は、行ってみてもいいかなあ~